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2011年09月09日

『第4弾CARE-WAVE気仙沼救援隊』

第4弾CARE-WAVE気仙沼救援隊』報告

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★『浜の家』さん(小野寺さんご夫婦)

浜の家さんがあった場所は、津波の後に火事が起きた鹿折地区にありました。
震災の日、御主人はお店に、奥さんはお店と渡り廊下で繋がっている自宅にいたそうです。

御主人は仕込みの最中、奥さんは自宅でお掃除をしていました。 
そこに地震が起き、奥さんはお隣の奥さんが悠長に割れたガラスを掃いている姿を見て「奥さん!危ないからうちの2階のロフトに上がって」と誘い、御主人にも「お父さんも早く自宅に戻って!」とベランダ越しに声を掛け、御主人が自宅に移ろうとしている時でした。
10m以上の屏風のような津波が目の前に現れ「メリメリメリッ」と音がしたかと思うと、津波はいとも簡単に自宅とお店を真っ二つに切り裂いてしまいました。

御主人はお店の屋根の上に、奥さんはお隣の奥さんと二人で自宅2階のロフトにいながらにして別々のところに流されてしまいました。

屋根の上は雪が降り凍るかと思うほどの寒さ・・・・
御主人は地震の時仕込みの最中でしたので、半袖に短パンとサンダルという格好です。 
寒さに耐えきれず雨樋を伝って家に入ると腰までの水・・・その中で水に浮いた店のワインを飲みながら寒さを凌いだそうです。 でも目の前には重油に火が付いた木ぎれが流れてきて・・・・「これで終わった」と覚悟しましたが、延焼せずに助かりました。

夜が明け、100m先の唐桑鹿折駅に人影が見え、3時間もかけて辿り着き、「生きてたかぁ、さぁ早く焚き火にあたれ」と言われて、ようやく火に当たろうとしたら足にとてつもない痛みが・・・
見ると足はカッパリ割れて血だらけ、そして凍傷になっていて、暖めることも出来なかったそうです。

それからは、奥さんの無事も伝わり、その駅で何人かの人と過ごしました。
目の前には被災後「宇宙戦艦ヤマト」と呼ばれる大きな漁船が乗り上がっています。
その船の中には乗組員の方々が乗船していたそうで、その方達から船の貯蔵食糧を分けてもらって飢えを凌いだそうです・・・・

何ヶ月か経って新しく店を出す決意が固まり、勇気を出して御主人は流された店を見に行きました。

そこには沢山のリボンが・・・
そのリボンは遺体があった所を示すものなのですが、
緑色が大人の男性、ピンクが女性、黄色が子供 を意味します。

「こんなに沢山の人達が俺の回りで亡くなってたんだ・・・」

それを見た御主人は
「神様に残されたこの命、何があっても大事にしなきゃいかんっ、俺は今度の『浜の家』を皆さんが笑って楽しく料理を食べれる店にする!」と決意したそうです。

私はリフォーム中のお店で小野寺さんご夫婦と夜中までお話しました。
「お父さん、カウンターに入ってみてよ」 と奥さんが言うと照れくさそうに御主人がカウンターに立ち「やっぱりココに立つとエネルギーが溢れてくるねぇ」と言いいながら、スッと料理人の顔に変わりました。

奥さんは私に
「鎌田さん、私の夢はね、『浜の家』のオープンの日に昔の近所の人と支援物資を下さった方、店のオープンを助けて下さった方に集まっていただいてね、『上を向いて歩こう』を一緒に歌うことなの」
と『涙』を輝かせて話してくれました。

IMG_0458.JPG 小野寺さんご夫婦.JPG 83378269.jpg   IMG_0419.JPG  IMG_0414.JPG

★ゴミの分別作業
今回の作業は個人宅の瓦礫撤去だけでなく、その瓦礫やゴミを捨てるゴミ集積所の分別作業に2日間取り組みました!!

大島の対策本部から指示された作業は田中浜という大〜きな浜に大島の瓦礫やゴミを捨てる集積所があって、その大量のゴミの山を現地の作業員の方々と分別しシステム化してくれというのです。

行ってみるとなんとまぁバカっ広い浜辺のあちこちにごっちゃりとゴミの山が・・・

そのゴミ山を『燃えるゴミ・燃えないゴミ・木ぎれ・鉄くず・瓶缶・電化製品・漁具・・・等々』10いくつに分類するのです。
でも、分けても分けても次から次へトラックがやって来て分別していないゴミを置いていく・・・気が遠くなるような作業です。

ただし、ちょっと自慢させていただくと・・・実は『鎌田組』はメチャクチャ作業が早く今回対策本部でも有名になったくらい。

私は本来、舞台で何十人も動かす仕事をしていますから、作業を段取るのに慣れています。 その上みんな手が早く、女性も男性並みに力があって「被災者のためならどんなこともやり抜く」の精神で動きますから、みるみるゴミ山が整理されていきます。

ただ、ゴミと言ってもどれも被災者の皆さんにとっては大切な思い出の品ばかり・・・
それを想うと何も出来なくなるので、みんな心にシャッターをし、ひたすら作業に集中しています。

そんな時一つのプラスティックが入っているごみ袋を掴んだ拍子に、中に入っていた子供のおもちゃがいきなり鳴り出しました。
幼児が乗って遊ぶおもちゃの車のようで、可愛い曲を奏でています。
 
曲を聴いていると思わず涙が込み上げてきて・・・
でも心を鬼にしてゴミ山に投げました・・・が、ゴミの中で、泣いているかのように曲は止まりません・・・みんな、それを聞きながら黙々と作業を続けました。 
     
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現地の作業員の方・・・
勿論、彼らも被災者です。家が流され仕事も解雇され、でもなんとか生計を立てるためにと、毎日毎日この浜で日差しのきつい中、ゴミや瓦礫と戦っているのです。
そして何故か年配の方が多い・・・。

彼らも初めは『どこから来たボランティアだ?』と遠目で私達の様子を見ていました。
でもダンプされるゴミの中にも平気で入っていくだけでなく、 ゴミを運ぶトラックまで一緒に運転する私達の仕事ぶりを見て「なして、そこまでやってくれんだ?申し訳ないなぁ・・・」と、わざわざ差し入れまで買ってきてくれて。 

すっかり意気投合しゴミ山の前で一緒に地べたに座ってお弁当食べながら、彼らと話す時間。
それはそれは忘れることの出来ない貴重な時間でした。
一人の元漁師の方が「俺はペルーの国がホント好きだったなぁ」と、マグロ漁船に乗っていた頃の話を懐かしそうに話してくれました・・・
でも、それもほんの何ヶ月か前のことです。
日焼けした顔に白い歯が光って、その笑顔が本当に切なかった・・・


帰りは監督のおじさんがフェリー乗り場まで送りに来てくれ

「あんた達のお陰で今日は今までで一番楽しい日だったぁ、ありがとう!わしら毎日ここにいるからいつでも会いに来てけろ」と涙を浮かべて・・・・

笑った笑顔をつたう涙・・・今回私はこの表情に何度も出会いました。

震災から3ヶ月経ち、悲壮なつらい表情を浮かべる人は殆どいなくなりました。
しかし、遅々として進まぬ復興に疲れ果て、でも前に進むしかない・・・自分の中の悲しみや苦しみと向かい合うより笑い飛ばしていた方がまだ楽だ・・・とばかりに、笑顔を見せてくださっているのでしょう。 
でも、ふと琴線に触れた時に流れる涙は、本当に悲しいものでした。

浜の家さんとはまた違ったこの『涙』・・・・

この『涙』を止めるためには、私達は何をしてさしあげたらいいのでしょう。

一体いつ、誰が・・・・止められるの?

私に出来ることは「また来たのか?」と言われても被災地に行き続けること・・・そして一緒に話をしながら汗を掻いて働くことしかない、と決意新たに大島を後にしました。
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★『うを座』のレッスン
また今回、新しい目的として震災後初めての『うを座』のレッスンを敢行しました。

どの学校も20日間以上遅れて新学期がスタートしたため、試験と部活で生徒達も大忙しです。

しかも今までのレッスン場はどこも流されていたり避難所になっていたりで場所がみつからない・・・・スケジュールと場所がなかなか決まらず、一時は諦めようとしましたが、御父兄からの要望もあり『うを座』スタッフのお宅の広い居間を借りてのレッスンとなりました。

久しぶりに踊りや歌を楽しむ子供達の笑顔は、私達の昼間の作業の疲れを忘れさせてくれました。

体全体で喜びを発散していて、ダメ出しを聞く目も今まで見たことの無いような真剣なまなざし・・・・子供ながらに踊りたい、歌いたいと言う気持ちを抑えていたんだなぁと実感・・・。

それを見た座長も御父兄も目を潤ませ喜んでくださり、今後も救援隊で伺う度にレッスンして欲しいとの要望をいただきました。

そして、もう一つ『うを座』への支援プロジェクトが進んでいます。
この夏休み、同じ『CARE-WAVE AID』に出演していた徳島の子供ミュージカル劇団『夢創り』の公演に『うを座』の子供達を招待し、合同公演を実施しようというプロジェクトです。

徳島からバスをチャーターして気仙沼に迎えに行き、交通費も滞在費も徳島側が負担して、稽古中も子供達をホームステイさせて『夢創り』の御父兄達が面倒をみるというものです。

作品は『夢つむぎの詩』。
10年来、両劇団を私が振り付け指導しているために、以前この作品を両劇団で別々に上演したことがありました。

まだ、気仙沼側の学校の遅れもあり、どうなるか決定していませんが、役として出演しなくてもテーマ曲だけでも一緒に舞台の上で歌えれば・・・と、願っています。


そのお稽古も含め、これからの『CARE-WAVE気仙沼救援隊』は1日中、大忙しです!!


★南三陸について
また、今回1日延長して何人かと南三陸の被災状況を視察してきました。
南三陸と言っても。町村合併されていて志津川・歌津町を南三陸エリアと呼ぶようで気仙沼から車で15分程度の隣町です。しかし途中の橋が落下し迂回して約1時間かけて行ってきました。
気仙沼に比べるとメインの志津川町駅周辺の倒壊した民家や瓦礫もある程度撤去されていたように思われます。

しかしあえて志津川から歌津町までの海岸道を車で走ってみると全くの手付かずの状況。

気仙沼もそうですが、あくまでTVで見慣れた地域はどこもメインエリアあり、それ以外の沿岸地域の被災は延々何十キロもの広範囲に及び、ボランティアや自衛隊の手が回らないまま3ヶ月放置されている実態がよくわかりました。

以前からは分かってはいたのですが、とうとう他の被災地を目の当たりにしてしまった鎌田・・・
CARE-WAVEとしてはこの状況を目にした限り、気仙沼に限定せずどんどん他の被災地にも伺いたいと思ってしまいます。

でも、手広く活動することも大事ですが1箇所に集中し、最後までお手伝いすることが今のCARE-WAVEには必須!!ですね。

 
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posted by carewave at 01:14| 気仙沼救援隊

2011年06月15日

『第3弾CARE-WAVE気仙沼救援隊』報告【NO1】

大変遅くなりました。

『第3弾CARE-WAVE気仙沼救援隊』のご報告をさせていただきます。


『第3弾CARE-WAVE気仙沼救援隊』


★テーマ★
・「被災地気仙沼の復興のための3日間ボランティア作業に従事する」
・「帰りは温泉に入ってさっぱり!!」

[作業協力]
  「気仙沼演劇塾うを座」の御父兄様
  大島対策本部の皆様
  『大島造園』 津島社長様
[物資協力]
  横浜市立青葉台中学校 
  群馬県太田市場・新田町市場
[宿舎協力]
  菊田礼子様・平貝自治会館様
[車両協力]
  松原安穂様・加藤事務所様・金井浩様・池袋ミュージカル学院大久保様

【日時】   2011年5月2日(月)〜5月6日(金) 延長組〜9日(月)
【支援物資】 生鮮野菜・衣類・食器・台所用品・家電・ファンヒーター他


【参加者】(敬称略)・・・・総勢26名
・CARE-WAVEスタッフ
  鎌田真由美(代表)・成田浬(車両)・伊藤由佳(経理)・松岡美桔・澁谷祐介(記録)
・CARE-WAVE以外の方々
[女性]秋山千夏・石原真里奈 ・今井未央・佐伯静香 高井渚紗・田川光希・南雲利枝 
  [男性]淺沼勤・宇賀神明・尾堂誠太郎・金井浩・亀井亮・庭山 智行・松原安穂・松村曜生・
山本真嗣・ライアン シュナイヴァー
・群馬より 亀井 一之・亀井知子 


【支援物資の提供先】

・生鮮野菜(群馬より)・・・大島避難所
・衣類・食器・台所用品・家電・ファンヒーター他・・・『うを座』御父兄及び御父兄のお知り合い
 
*横浜市立青葉台中学校、安藤校長のお申し出で、生徒及び御父兄から子供用の衣類を段ボール34箱ご協力いただきました。
http://www.edu.city.yokohama.jp/sch/jhs/aobadai/

【宿舎】   [備考]食事&Meetingは平貝公民館にて

  1,男性 平貝公民館・・・松岩町
  2,女性 菊田家離れ(お風呂有り)・・・階上町

【お風呂】  市内の銭湯にて
  
◇5月2日(月)◇


10:30松原車・亀井車・・野菜荷積み
13:00成田車・山本車・・青葉台中学校支援物資荷積み
14:30松村車・・下北沢出発
18:30金井車・・品川出発
IMG_1900.jpg 青葉台中学の生徒会の方々がお見送り

参加者26名、全車両6台というCARE-WAVE救援隊始まって以来の最大人数を介しての『第3弾CARE-WAVE気仙沼救援隊』となりました。

それぞれの車が別々の時間、別々の場所からの出発です。

亀井車と松原車は群馬の新田から約1tの生鮮野菜と支援物資を積んでスタート。
成田車と山本車は横浜の青葉台中学校の生徒さんが提供くださった沢山の衣類を生徒会のみなさんと一緒に車に積見込んでスタート。
松原車は昼までお仕事の方々を乗せて下北沢からスタート。
金井車は5時までお仕事の方々を乗せて品川からスタートです!!

今回の26人は今までのCARE-WAVE関連の方だけではなく、応募でいらした一般の方もいて、半分以上が「初めまして」の方達でした。

皆さん車に乗ってはじめて「自己紹介」という状態で楽しみな半面ちょっと不安な部分も・・・

しかもGWど真ん中に行くものですから、道路の渋滞も心配。

でも、その心配も余計な取り越し苦労でした。
首都高過ぎると、「あれ?今GWだよねぇ???」と言うほどスムーズさ。

予定通り、金井車以外は夜中になる前に宿泊場所『平貝自治会館』に到着しました。
この自治会館は『うを座』のご父兄が自治会長さんにお願いしてくださり、「気仙沼のために来てくださるのですからぜひお使いください」と快くお貸しいただけたそうです。

今回は車中泊ではなく屋内の宿泊。
しかも松原さんによる1日3食賄い付き!!!

なんてグレードアップした豪華な環境でしょう。(泣)

宿舎に着くとみんなで物資の荷降ろし。 
そして有難いことに先に到着していた松原さんがトン汁を用意してくれていました。

夜中に着く金井車6人を除いて、皆さんでトン汁をいただきながら自己紹介兼次の日のスケジュール確認のMTGを終え、女性陣はもう一つの宿舎である、菊田宅(『うを座』父兄宅の離れ)に移動しました。

これからの3日間は 食事とMTGは自治会館、寝るのは男・女で自治会館と菊田家の2か所に分かれての生活になります。

菊田家に着くとなんと2部屋にお布団がしっかり敷かれているではないですか!!!

5月といっても東北の夜はめちゃくちゃ寒い!!!

寝袋だけ・・・と覚悟していた女性陣は大感動。
菊田さんに感謝しながら皆さん旅の疲れもありすぐに熟睡!!!

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◇5月3日◇ 



【作業内容】
・大島避難所・・・野菜提供&物資の仕分け作業
・斎藤芽依宅・・・・家財運び
・『めん八珍』・・・店舗・庭の掃除&食器洗い
・『京染めたかはし』・・・・着物下洗い
・ペット避難所所『Pad & Tail』・・・・犬の散歩&世話


朝早く起き、深夜バスで到着する南雲さんを迎えに行って戻ると、菊田家の台所からカレーの臭いが。

なんと、昨晩のお蒲団だけでも申し訳ないのに朝ごはんの用意までして下さった菊田さん・・・
なんて有難い・・・(号泣)

男性には申し訳ないけど女性陣は朝から豪華なカレーをしっかりいただき、自治会館に集合です。 

初日第1日目にして今日の作業は5箇所もあります。26人が5グループに分かれての作業です。

昨晩深夜に無事到着した金井車組はまだ何名か熟睡中・・・
9時ごろになると『うを座』のお母さん達も集まってくださり、大島組は新鮮野菜を積み込んで出発。他の組もそれぞれの作業先に・・・
そして金井組と午前中作業のない組は被災地の見学に向かいました。

そして鎌田はお母さんたちと支援物資の整理です。
今回は私たちが作業で留守の間、自治会館が支援物資の受け取り場になるのです。
全員が出発すると『うを座』のお母さん達と子供達で持ってきた何十箱という段ボールの箱が一斉に開けられました。

段ボールの中はワレモノということもあり、梱包の仕方一つ一つに提供して下さった方々それぞれの想いが伝わって来ます。 
中には心の籠った被災者の皆さんへのメッセージがあったり。
中には素敵なコーヒーカップのセットに「コーヒーを飲みながらこの曲でリラックスしてくださいね」と、リラクゼーションのCDが入っているのもありました。


そして3時間掛けてやっと20畳の部屋には食器と台所用品&家電、隣の10畳の部屋には子供たちの手で衣類がびっしりと並べられました。

いやぁ〜〜並べてみると本当にびっくりするぐらいの食器と衣類の量・・・・圧巻です。
特に食器はそこらへんのお店もかなわないほどで・・・まさしく展示場いや、食器市の様相です。

そして昼過ぎ、『うを座』のご父兄やお知り合いの方々が続々といらっしゃって段ボールに詰めてどんどん持って帰って下さいました。

殆どの方が家を流され、仮設住宅や新しいお家を借りて移られる方たちです。
中には飲み屋さんを経営していた方がいらして「店も流され新しくお店をオープンするためにお皿やグラスが欲しかったんです・・・これでお店をオープンできます」と涙ながらに御礼を言って下さる方もいて・・・。

全く相手は見えないけれど、誰かを思う気持ちとそれを受け取る方の感謝の気持ちを繋ぐことができ、私は本当に幸せものだ・・・と実感させていただきました。

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さてさて、作業に向かったチームは?
もちろん各チームのリーダーを決め随時連絡を取って状況報告はもらっていましたが、作業の詳細はわからないので、後日各チームの方々からいただいた報告文をもとにご紹介します。

♯大島避難所・・・野菜提供&物資の仕分け作業 

大島と気仙沼を結ぶフェリーは津波で陸に上がってしまったために、車での大島入りができなかったのがカーフェリーを広島県江田島市が提供してくれたおかげで4月27日、一ヶ月半ぶりに就航した。

大島からは買い出しの方々が・・・
大島へは物資を届ける人々が・・・

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それでも乗客半分くらいだろうか、乗り込み、大島へ向けて出港した。

湾の海上から見る気仙沼は、惨状を一様に見せつける。

真っ黒に焦げ落ちた船。
沿岸には潰れて壊れた重油タンク。
(この重油タンクから漏れ出た油が・・・あの日、気仙沼を炎で包んだのだ。。。)
海鳥達が無数に飛び、沿岸では何かを突ついている。
海上にはいくつもの「瓦礫島」が出来ている。
(この海底には・・・あらゆるものが沈んでいるのだろう・・・)
流され、水に浸かったままの家屋。
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15分程だろうか・・・大島が近づいてきた。
「やはり・・・」

気仙沼市内より人が足りていないのは一目瞭然だった。
全くの手つかずの場所が多い。

下船し、目的地の公民館へ向かった。
道中、島をそのまま乗り越えていったと思える程の、津波の被害を横目に見ながら。。。

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公民館近くに数人の少年がいた。
「公民館はどこか知ってる?」聞いてみると、久々に聞く子供の元気な声!
「あそこーっ!」
あまりの元気のよさに、車中の空気は一気にほころんだ。

公民館には自衛隊車が多く止まっていた。
対策本部の方にご挨拶し、物資集積先の小学校を教えてもらう。
出発しようとすると、人が大勢出てきて空を見上げている。
手に手に携帯カメラを携えて・・・その方向を見てみると・・・

横真一文字の虹!

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見たことの無い、不思議な虹。
(きっと良い知らせ、吉兆に違いない!)

目と鼻の先にある小学校へ移動し支援物資の生鮮野菜をお渡しした。
小学校では地方からのボランティアの方々が仕切り、物資の仕分け作業をしていた。

背中にはー阿南市ーの文字。徳島県からの方々だった。
昨年、やはりCARE-WAVEのワークショップをしに徳島県へ行ったが、
その開催地が阿南市だったのを思い出した。

(あんな遠くから・・・この大島までボランティアをしにきている。)

日本人の素晴らしさ・・・
日本人の他者を思うココロ・・・
日本人の派手ではないが、心のこもった行動力・・・
感動し、感激した。

物資の仕分けは予想以上に苦労した。
それでも皆で協力し、帰りのフェリーに間に合う様に無事に終えた。

お昼にコンビニオニルギンをほおばっていると・・・

また虹が出た。
今度のは太陽を丸く囲む様に・・・
まるで日輪の輪の様だった。
(大島での不思議な虹の連発!きっと素敵に復興する!)
そうは思ったのだが、誰かが・・・
この虹って、たしかあんまよくないんだよなぁ」
確かに、気象学的には天候の急な変化等の前兆の意味もある様だ。
でも・・・

『虹は神の祝福です。天から気が出ています。気仙沼の神の祝福を祈るといいです。
先程の横真一文字と並べると、「旦」になります。旦の意味を調べてみるといいです。』

という返事もいただいた。
旦の意味は・・・夜明け・はじまり・誕生だった。
(俺はこれを信じよう。)

体育館では避難生活を送っている大勢の方々が目に入った。
空気が重かった。。。

(少しでも早く、軽くなって欲しい。)
そう思った。

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♯斉藤さん宅・・・・家財運び

【松村さん報告文】
メンバー7名。と、斉藤さんの地元のお友達2名。

『うを座』の父兄である斎藤さんの住んでいたお宅が津波で住めなくなった為近くの借家への家具移動。

ご自宅の二階から、箪笥などを運び出し、20〜30m先の借家の2階および3階まで運び込む。
古い趣のあるご自宅の階段は狭く、大きな箪笥を運び出すのはなかなか大変だったが、
とにかく慎重に傷つけないように皆で運び出した。


そして借家に運び込むのだが、こちらも階段が狭く普通に運び込むのは不可能。
ご友人方が機転を利かせて、二階の窓をはずし 近所からはしごを借用して縄をかけて引っ張りあげる。

本当に不思議なもので、皆始めて顔を合わせた方達なのにとてもチームワークがよく、あっという間に終わってしまった。

作業終了後、斉藤さんが「ありがとうございました」と涙ぐみながら何度も頭をさげられたが、

返す言葉がなくなんとも言えない気持ちだった。


♯『めん八珍』・・・店舗・庭の掃除&食器洗い
 
ここは『うを座』の座長、鈴木さんが経営してらしたラーメン屋さんです。
津波で店舗は浸水。

ヘドロと泥が店を覆い尽くし、厨房も無残なもの・・・
ご自宅までも被災した鈴木さんはせめても・・・ともう1軒のお弁当屋さんの営業に勤しんでいたためにこの『めん八珍』はしばらく手つかずのままでした。

でもどうにかしなくてはと床の泥掻きと泥のついた食器の洗い、そして店舗前の駐車場の植え込みの汚泥除去を私たちに依頼されました。

【浅沼さん報告文】
(1)店舗前庭、入口の掃除=汚泥撤去→男性   
軒先には3-4cmの汚泥が石垣内の植え込みに溜り、植木が邪魔する中をスコップや手で除去した。
   
入り口の左右に2畳程度と、3-4畳程度の石垣に植木があったので、2名体制で臨んだ。
それぞれにとはいえ、結局60Lのゴミ袋に10数袋に及ぶ量。
それを瓦礫・ごみ集積所に運ぶのも一苦労。(ゴミ袋もやぶれるし、重いし・・・)
   
手が入りづらい箇所にも届き、泥を掻きだせるせるような道具があったら、もう少し効率よく作業が運んだかもしれない。
場所や作業内容によって使う道具が大事だなと思った。

特に身体を横にしてしか入れない狭いガラス張りのオーナメントの人形棚にもしっかり汚泥は入り込み、ほぼ閉ざされた空間の中、埃まみれになって、なんとか取り除くことができたけど、のどが弱い私にはなかなか過酷な作業だったかなぁと。
   
私の腰から肩にかけて汚れで水位が残っていたが、あの立地(=港近くではない高台に位置している店)にも関わらず、海水が津波として押し寄せたのだと、改めて理解・想像できた。
   
店の什器はもう水で使い物にならないものもあるのも頷けた。
勿論、電気配線もNG。店の床までめくれ上がるほど、水はどこにでも入り込むんだと・・・。

庭先の汚泥除去はなんとかやりとげられたものの、店舗内をきれいにすることは適わなかった。1店舗の掃除を1日ではやりきれず、人手の限界も感じていた。

(2)店舗内の食器洗い→女性
厨房は広めで、30uくらい。水がでる洗い場が3−4箇所あったので、女性陣がそれぞれの水場で、油+汚泥にまみれた食器・調理器具を洗う作業。
  
庭もそうだが、水があるからこそ、洗える。水の大事さを痛感。

(3)追加要望
   1)裏の扉洗い
    遠慮がちな座長さんに確認して、庭先掃除が終わった15:30頃から追加で油と泥がこびりつ    いていたスライド式の扉2枚を洗浄。
    主に宇賀神さんライアンで対応してもらい、私は泥入り袋を捨てる作業を担当。
    バイトでプロ並なスキルを得ていた宇賀神さんも唸るほどのこびりつきと汚れ・・・。
    食器用洗剤では落ちきれず、断念するも、宇賀神さんとライアンとの師弟関係が小気味良か    った。チームで仕事をする楽しさがちらほら。

   2)業務用冷蔵庫の移動
    立方体に近い業務用冷蔵庫(2m*2m*2mくらいか?)が、津波の力で、設置されていた壁    側から1-2mほど前に出てしまっていたため、
    「業者に頼もうかと思っているけど、なんとかできたらいいな」
    というご要望に応えるべく、男4人でTry。重さは不明もなんとか持ち上げ移動に成功し、奥    に位置した私の厚さまでなんとか引っ込めることが出来た。
    大物をやっつけて帰還する際には、ほんのり一体感ができた感覚を覚えた。
    
・個人の感想:
作業している間も車で駐車場によって、「開いてますか?」、「いつからオープンですか?」
と聞かれることがあり、人気があり再開を待ち望まれている店舗なんだと思った。その店の復活をお手伝いできたのは嬉しかったし、いつか店内に広告を張られていた「気仙沼ラーメン」を食しながら、今の作業や有り様を思い返してみたいとも思った。
チームリーダを拝命するも、うまく全体の作業量と時間配分を測りきれなかったので、もう少しタイムマネジメントをしっかりやらないといけないなと反省もした。

店先の泥と海水を被った土の中には、虫がちゃんと生きており、こんなところにも海水が来るのだという津波のの脅威と生命の驚異に触れることができた。
 
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♯『京染めたかはし』・・・・着物下洗い
 

『うを座』の事務局長をなさっている高橋さんのお店です。
ご主人の高橋さんは震災の日京都にいました。震災の翌日、どうにか気仙沼に戻ると1階の店舗は冠水し、ヘドロと大量の魚(冷凍加工場のもの)、それに瓦礫や押しつぶされた車の山。

約1カ月ひたすらヘドロと軽く千匹はいただろう魚を掻きだし、いち早く店をリフォームし、て4月の末に店舗を再開しました。
お店にあった着物や在庫の反物・帯・・・すべてがヘドロと泥に浸かって捨てるしかない・・・と諦めていたそうです。
しかしそこに以前からのお得意さんがドロドロになった着物を持って来られて「どうにかして欲しい」との依頼が・・・。

そこで泥とヘドロを下洗いし、京都の本洗いの工場に出す、ということになりました。

「ならば店にあった商品もなんとか助けられる品はないか、着物として残せなくてもハギレにして巾着作るとか・・・。なんとか代々伝わった逸品を後世に残したい、洗ってあげればどうにか捨てずに済むんじゃないかしら」
と、泥に汚れた全ての商品を洗わずに下洗いすることに・・・

なんだ、簡単な作業じゃない!!

と鷹をくくっていたのが大間違い・・・・

同じ姿勢での単純作業ですが、1時間もすると肩から腰までバリバリ・・・

しかもお客様からの依頼と店舗在庫の数は終わりが見えない膨大なもの 。。。

この作業を約1ヶ月近く毎日ボランティアさんやお店の従業員、家族総出でやってらしたのですから本当に大変だったと思います。


でも着物好きの私としては持ち主の方の着物への愛情も感じられたし、ちょっと東京というか自分の環境では見ないような柄だったり生地だったりが新鮮でとても楽しかった。

高橋さんの底抜けに明るい笑顔とそれを支える沢山のスタッフやお友達に囲まれ、本当に楽しい時間を過ごさせていただきました。

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♯ペット避難所『Pad & Tail』・・・・犬の散歩&世話 

前回もお手伝いした『PAD&TAIL』というドッグトレーニングとドッグランの施設に行きました。
少し山の上のほうにあり、全く津波の被害のないエリアです。
そこは、普段は犬のトレーニング施設ですが、今は、被災していて家族と一緒に暮らせないペットを無料で預かっています。

ペットは避難所の中には入れないので、車の中にずっといなくてはいけなかったり、車の中にいても衛生面のことがあったり、犬をそばに置いておくこと自体、嫌がられることがあります。

ですから、どうしてもペットと一緒に暮らすことができないので、そこの施設で、家族と暮らせない犬たちを預かっています。

 
その施設はご夫婦で経営されていますが、山梨と八王子にあるノア動物病院の院長をはじめ、獣医の方達が医療チームを組んで、交代で常に滞在するという支援をしています。

施設には、徐々に支援物資が集まってきていて、今回は何日かにわたって餌やペット用品の無料配布開催のお手伝いもさせていただきました。

 預かっている犬たちはケージに入れられ、騒がないように毛布で目隠しをされていました。
そして、朝と夕方の二回散歩に連れていき、うんちやおしっこをさせます。

余震の影響で情緒不安定な犬も多いため、水で溶いた餌に精神が安定するハーブを交ぜてケアをしていました。

その日避難所から飼い主の方が面会にいらっしゃいました。
なかなか会えないこともあって犬も飼い主の方を見つけると一目散に駆けていきます。
飼い主が帰られる時も、姿が見えなくなるまでじっと立ちつくす姿に思わず涙ぐんでしまいました。


素直でかわいい犬ばかりで、早くご家族と暮らせる日が来るのを願うばかりです。

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第1日目の作業を終え、銭湯から帰ってきた皆さんの顔は疲れた様子もなく、逆にどこかみな明るく会話も弾み、たった1日の作業で各チームしっかり和が出来上がっていた・・・というのが一目瞭然でした。

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そして待ちに待った松原シェフの晩御飯!!

しかも食材は亀井さんが群馬の市場から持ってきて下さったばかりの新鮮なお野菜です。
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昔懐かしい合宿のような雰囲気の夕食も済み、今日の報告を兼ねたMTG。
どのチームも初めてのメンバーにもかかわらず使命感のもとしっかりと作業を遂行して下さったようで、皆さん達成感に溢れた顔をしていました。
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そして明日の作業内容を説明し、明日からは作業メンバーをこちらから指名するのではなく自分のやりたい作業を選んでいただくことにしました。

初めは少し戸惑いもあったようですが、皆さん黒板の希望場所にどんどん名前を入れ、すんなり揉めることもダブることもなく明日の作業が決定!

そのあとは賑やかな飲みの席が始まり『早く寝て下さいね!!』と、男性陣に一言釘を刺して女性陣は菊田家に向かいました。

初日の緊張感から解放され達成感に溢れた同志で飲むお酒って美味しいんでしょうね。いったい何時にお開きになったことやら・・・(笑)

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posted by carewave at 07:44| 気仙沼救援隊

2011年04月21日

【第2弾CARE-WAVE気仙沼救援隊】のご報告

大変遅くなりましたが、ご報告させていただきます!

〜第2弾CARE-WAVE気仙沼救援隊〜


☆参加メンバー
●CARE-WAVEチーム ・・・2t車(レンタカー)+ワゴン車(加藤事務所)+セレナ(宇田川車)
 ・『CARE-WAVE AID』キャスト:松村曜生さん・内藤歩さん
 ・『CARE-WAVE AID』映像スタッフ:宇田川伸一さん
 ・ CARE-WAVEスタッフ:成田浬さん・沓沢周一郎さん・澁谷祐介さん・鎌田
 ・ CARE-WAVE以外の方々:村松直浩さん(ダンサー)・二宮綾音さん・高井渚紗さん・石原満里奈さん・田川光希さん(気仙沼にて合流:斎藤渚美さん・小松真美さん・有紀さん)

●『Run for Peace』チーム(名古屋から)・・・2tコンテナ車+ワゴン車+2tロング車
  秋田稲美さん(代表)・伊藤幸二さん・斎藤敦史さん・池崎さん・羽原さん・後藤さん

●『新夢』チーム(群馬県太田市から) ・・・2t車
  亀井一之さん(元座長)・星野孝雄さん
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☆支援物資
●CARE-WAVEチーム(横浜錦台中学校の支援物資含む)・・・約2t分
    お米・レトルト食品・缶詰・調味料・ニンジン5箱・ノート鉛筆消しゴム(300セット)
●『Run for peace』チーム・・・約3t分
    お米・レトルト食品・缶詰・調味料・洗濯機・酒類・離乳食他
●『新夢』チーム・・・約2t分
    ・生鮮野菜(キュウリ約44本×21箱・キャベツ8個入り×20箱・やまと芋8〜10枚×20 箱・トマト約
     15個×20箱・じゃがいも10箱・玉ねぎ10箱・大根10本×10箱・レタス19個×3箱・ネギ10本×19箱・  
     里芋4箱・ほうれん草10箱・カボチャ5箱・しいたけ6個パック×30個×1箱・なす30本×5箱・かき菜
     14箱)
    ・お米・レトルト食品・缶詰・調味料・生理用品・御菓子他
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☆支援物資支給先

1,唐桑地区 A,唐桑町宿裏(20世帯)
       B,高松園(知的障害者更生施設入園者110名避難者40名)
2,鹿折地区 A, 鹿折町(10世帯)
       B, 『キングスタウン』(老人ホーム)
3,面瀬中学校(避難所 約300名)
4,旭が丘学園(児童施設 約70名)
5,『うを座』ご家族


☆CARE-WAVE以外の物資提供について・・・

秋田稲美さん
名古屋の秋田稲美さんは女性リーダー育成研修・女性活躍推進コンサルティングの株)エ・ム・ズを経営なさっています。また『Run for Peace』というチャリティランニング&ウォークイベント開催プロジェクトでCARE-WAVEにもお声掛け下さっていました。
そして全国規模のネットワークを持つ秋田さんのお声掛けで全国から10t以上の支援物資が届き、気仙沼のためにCARE-WAVEのために約3tもの支援物資を名古屋から輸送いただきました
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名古屋の皆さんの『応援寄せ書き』の入った横断幕も付けて!

亀井一之さん

群馬の亀井さんとは10何年来のお知り合いで、気仙沼の『うを座』徳島の『夢創り』同様、私が毎年ミュージカル公演の振り付けをしていた市民ミュージカル『新夢』の座長さんです。 亀井さんが太田市JAへ支援をお願い下さったおかげで、約160箱という生鮮野菜を現地に提供でき、野菜に飢えていた現地の方々に本当に喜んでいただきました。
    
IMG_0027.jpg       支給先別に並んだ生鮮野菜!!


そしてもう一つありがたいお申し出があったのが横浜市立錦台中学校 の校長枝迫先生です。前回ご協力いただいた市ヶ尾中学校の平川校長のご紹介で「是非、我が校も生徒会を中心にご協力したい!」と、生徒会を中心に段ボール30箱の支援物資と生徒会の皆さんからの応援メッセージをお預かりしました。

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錦台中学校生徒会の皆さん



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=4月13日 第1日目=

秋田さんの物資、そして横浜の錦台中学校の皆さんの物資、計7t近くの支援物資を持って気仙沼に着くと、またまた『うを座』の子供達や御父兄が沢山待機してくださっていました。
全日に亀井さんと星野さんが運んで下さった160箱の生鮮野菜と支援物資が既にどっさり並んでいます。
秋田さんチームとCARE-WAVEチームの物資を荷降ろしすると前回にも増して凄い量の『支援物資=贈り物』の数!!
みんなで荷下ろし!!

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それぞれの箱には心の籠もったメッセージも!! 


荷下ろしも済んで、大事に預かってきた錦台中学校の生徒会の方々の寄せ書きメッセージをうを座の子供達に贈呈!! みんな嬉しそう・・・その顔を見ながら、このような『温かい言葉のプレゼント』は彼女たちの心にしっかり刻まれ『大きな愛』となって育って行ってくれると思いました。
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さぁ、荷分けし直して出発です。

気仙沼は南北に長い地形ですので、市街地から離れた地域の漁村や山中の村落は未だに全くライフラインが復旧していません。
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自宅避難の地域の一つに市街地から40分くらい離れた唐桑半島の宿浦という小さな漁師町があり、そこは陸の孤島となっていたところで、今も全くライフラインが復旧していません。ここにもうを座の鈴木さんご一家が住んでいらっしゃいます。以前は牡蠣の養殖で栄えていたところで、小さな湾にぎっしりと漁船が停泊し、入り江には養殖施設が浮かぶ本当に綺麗な漁師町だったそうです。

しかし3月11日、重油を乗せた津波が湾に流れ込み、停泊した船が次々と爆発したかと思うと「火の海」と化して15m上の民家まで呑み込んだそうです。

「逃げ遅れたお隣の18歳の女の子がね、ベランダで『助けて〜!』と叫ぶ声がするんで、すぐにロープを投げたんだけど、あっと言う間に2階建ての家ごと海の中に引きづり込まれるように消えていったのよぉ〜 ・・・あれはほんっと地獄絵だったよぉ」

と話して下さったお祖母様は、やっと誰かに話せる・・・とでも言うかのように、震災当日の話やこの1ヶ月の生活の状態を休む間もなく・・・・まるで吐き出すかのように話してくれました。span>
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母屋の大きなお宅の1階は浸水したため、被害の少なかった納屋で生活している、という住まいも案内して下さいました。すると驚くほどあちこちにお祖母様の「昔からの生活の知恵」が溢れていて、まるで50年前にタイムスリップしたかのような、様相です。 
『窓ガラスの代わりにね、大漁旗を貼ったら凄く強くて暖かいの』
『このお釜は代々の大事なお釜でね、200m先の木に引っかかってたのを見付けたのよ』

と、どこか自慢げに説明して下さるお祖母様のお顔が輝いていて・・・

まるで、『絶対負けない!意地でも元の生活に戻してみせる』とでも言うかのような、お祖母様のエネルギーに圧倒され、昔の人は強い、凄い!と実感しました。

納屋で新しい生活・・・.jpg   ガラスの代わりに大漁旗が・・・.jpg

そのあと、家の前の空き地で物資を並べて『CARE-WAVE青空市』が始まり、もう20世帯しか残っていない近所の方々に集まっていただきました。

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「こんなにしてもらっていいのかねぇ、申し訳ないねぇ・・」と言いながら、遠慮がちに野菜に手を伸ばされるお年寄りや、照れくさそうにお酒を手に取るお爺さん、そしてお母さんの後ろに隠れながらじっと御菓子を見ている子供達の姿に、東北の人達の慎み深い気質を垣間見ながらも、鈴木さんのお祖母様のような、まるでアテルイのDNAを受け継いだような強い忍耐力・・・を見せていただき、益々『東北は凄い!この人達は私達のお手本になるべくして生まれ、選ばれた人達なんだ!!』と実感しました。

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唐桑から倉庫への帰り道、気仙沼市街地や漁港を見ました。
気仙沼の市街地は前回よりライフラインもかなり復旧し、ガソリンもスムーズに給油できるような状態です。でも、被災地の瓦礫の山や倒壊した家屋、乗り上がった船などの無惨な状態は全く変わらず・・・。
道路の縁に積まれていた瓦礫がどうにか撤去されたかな・・・という程度。
特に被災地はあちらこちらにカツオやサンマといった魚市場や海から流れてきた魚が散乱していて腐臭が漂っていてとにかく臭い!! 

いつになったら、この瓦礫は撤去されるのでしょう・・・そしてこの瓦礫の中に眠る魂はいつ供養されるのでしょう・・・
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そして倉庫に戻り、うを座の方々とお別れの時・・・

うを座の子供達が以前公演した『森のデュエット』のテーマ曲を歌ってくれ・・・
『♪ 生きる喜び〜愛する歌声〜 響けよ〜大地に、空に〜♪』と歌う子供達の笑顔が涙で見えませんでした。

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【備考】
避難所は場所によって支援状況が大きく違っていて、今回も300名の避難者がいる『面瀬中学校』や唐桑町の知的障害者のための介護センター『高松園』・鹿折町の『キングスタウン』にも支援物資をお贈りしてきました。

=4月14日 第2日目=

以前から切望していたボランティア作業をさせていただきました。

気仙沼はこの『災害ボランティアセンター』が発足されたのがかなり遅く、そのためかとても手続きの要領も悪く、、ボランティア希望の人数も少ない!!
その日も100人近くのボランティア希望の方がいたのですが、大体1軒に10人前後の人員がマッチングされる・・・ということは、この日は約10軒程度しか作業ができない!ということです。しかも朝9時から登録してうちがマッチングされたのは1時間半後・・・遅いっ!

その頃、女の子チームの6人は犬の散歩のボランティアに・・・。そこはうを座のお母様の知り合いの犬の訓練所で、避難所の方の犬や飼い主とはぐれた犬が40匹近くいて、お世話する方が2人だけ・・・そこで若い女の子チームがお手伝いさせていただきました。
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やっと、秋田さんチーム含めた私達12人がマッチングされた作業は高橋さんというお宅のヘドロの掻き出し。

そこは市街地の住宅地で、塀にダンプが2台突っ込んでいたり、屋根の上には漁具が乗っかっていて・・・すぐ横には川が流れていますが、勿論その川も瓦礫が散乱されていて・・まるで『ゴーストタウン』の様相です。

IMG_0064.jpg   トラックが・・・.jpg   IMG_0059.jpg


高橋家はすでに床がはがされて,その床下のヘドロと、庭&倉庫のヘドロを掻き出すのが私達のお仕事です。

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既に、高齢の高橋さんご夫婦と娘さん二人が作業されていて・・・作業を始めようとしたら、お隣のお爺さんがじっと羨ましそうにこちらを見ていました。

思わず「どうかされましたか?」と聞くと、「うちの母屋が手つかずで、どうにもならんのです」と。

2軒先の母屋に案内されて中を見ると、畳や家具がぐちゃぐちゃに積み重なって足の踏み場もありません。
「わかりました、うちの男性3人を連れてきます!」
すぐに、高橋さんに許可をいただき、ボランティアセンターに報告しました。すると
「いや、そのお宅からは要請がありませんので困ります」
と言うのです!!

「こんな緊急時にマニアル通りのことやっててどうするんですかっ! 1軒に12人もいらないでしょ、臨機応変に対応しなきゃ何も進みませんよっ!!」
と、無理矢理許可をとって・・・・2軒同時の作業が始まりました。

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みな黙々と作業を進めました。
初めて持つ重いシャベルで本や魚やビニール・・・そして取っても取っても出てくるヘドロを掻き出しながら、腕や腰の痛みと共に、何とも言えない悲しみが襲ってきました。 

被災地の瓦礫の中に立った時は、TVで見る以上の悲惨さに愕然としながらも、でもどうにか復旧できるんじゃないかと感じていました。

しかし、このただただヘドロを掻き出しすという単調な作業をしていると、被災者の方々の本当の絶望感を実体験する、というのでしょうか・・・・たとえ今このヘドロを全部掻き出し、この家が綺麗になっても、この家に未来は来るんだろうか・・・と、過去味わったことのない虚無感を感じます。

休憩時間、高橋さんは私達にお茶やパンを出して下さると、波で怪我をした足を引きずりながらも、またシャベルを持ちヘドロを掻き出しはじめました。


ヘドロの掻き出しなんて小さな一歩かもしれませんが復旧の道を歩むには、まず、この津波の傷痕を拭うこと・・・
被災者の守ってきた大事なものを少しでも早く『複製』してあげること・・・

この庭の土はこんな色じゃなかったはず・・・
壁の色も、ガラスの泥も・・・
水が出なくても浴槽や台所の流しに泥やヘドロがこびりついてちゃいけない!!

そうしないとこの方達は前に進むことができないんじゃないか・・・と思いました。
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最後にお掃除させていただいた緒方さんと高橋さんの家の前で記念写真!!


たかだか、5時間程度のお手伝いでしたが、その頃には高橋さん・緒方さんご家族とどことなく昔からお知り合いだったようなそんな不思議な気持ちが湧いてきました。

「本当に助かった・・・本当に有り難うございました・・・」

という静かな笑顔の中に何とも言えないが疲労が見えます。
そう言えば、時々作業の手を止め、焦点の合ってない目でジッと一点を見ているお顔を何度か見ました。
 
高橋さんも緒方さんも、また明日もこの家を『複製』しようと1日働き続けるのでしょう・・・
またの再開をお約束して、私達はお宅を後にしました。


☆最後に・・・・

「被災地のために私に出来ることをやる」という悠長なことを言ってる場合じゃない!

人手が足りないんです!!

もう一軒の緒方さんのようにボランティアセンターに要請することさえも知らない方が沢山います。
そういう方達をフォローする、ボランティアセンターにも人手が足りません!!

『今私達は何をすべきか?』

答えは簡単です。
私達はどうにかして、スケジュールを調整して被災地に出向き、ショベルや雑巾を持ってヘドロや瓦礫の撤去をしなきゃいけない!

もっと沢山の方がここに集まって、ご老人が腰を曲げて掻き出しているショベルを代わりに持ってあげて欲しいと思います。

原発の報道以外、TVはまるでこの状況を無視するかのように、明るい話題を探しています。

総体的に見ると1ヶ月も経てば、ライフラインも物資の流通も復旧しているでしょう・・・
でも、一人一人の人々の心の中は1件1件のおうちを見ると、何も変わっていないのです。
それでも、東北の方々の気質でしょうか、怒りを表に出さず黙々と疲れた手を足を動かしながら働いています。

どうか、皆さんここに来てあげて下さい・・・・ 一緒に汗を痛みを味わってあげて下さい。


最後に・・・

この2回、気仙沼から帰ってきてまず思うことは、『なんて東京は物が多いんだろう・・・』ということです。 

何もかもなくした被災地の方々の生活は本当に慎ましやかで温かいものです。
そんな荒れ果てた被災地が毎回居心地良く感じる・・・



今回の震災は本当に沢山の方々の命を失い、悲しみを生みました。

でも同時に、この震災は『物や情報に溢れた文明』によって荒れ果てた人々の心や、歴史が生んだ国交の諍いを一掃し、世界中に「思いやり」という新たな価値観の種を蒔いてくれたように思います。


「何もしないことは興味がないのと同じ」

「物質ではない心の豊かさ」

このことを本当に考えなくてはいけない時代となりました。


そしてこの世界が大きく変わろうとする大切な時に生かされていることに、心から感謝したいと思います。

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今後もCARE-WAVEは東北の方々の気質を理解し、きめ細かい支援を継続していきたいと思います。


最後にご協力下さいました皆さん、本当に有り難うございました!


次回はマンパワーを結集して『人による支援』『3日間ボランティア作業』に参ります!!
今後もご支援のほどよろしくお願いいたします。



posted by carewave at 16:18| 気仙沼救援隊

2011年03月31日

ご報告です!


第1弾CARE-WAVE気仙沼救援隊 ご報告 




第1回『CARE-WAVE AID』からずっと子役として出演してくれていた宮城県気仙沼の子供ミュージカル劇団「うを座」の約100のご家族が東北太平洋大震災で甚大な被害を受け、何をおいても駆け付けてお力になりたい!とCARE-WAVEのキャスト・スタッフの皆さんにお声掛けをしました。そしてたった1週間の準備にもかかわらず、たくさんの心の籠もった提供物資&義援金が集まり、気仙沼の皆さんに無事お渡ししてきました。

物資の移送には都築学園グループ理事の都築明寿香さんから横浜薬科大学のマイクロバス・大型バスの提供、加藤事務所さんからはワゴン車を提供いただき本当にありがとうございました。

また、市が尾中学の校長平川理恵さんのお声掛けで市が尾中学校・東市が尾小学校・荏田西小学校総勢2000名の生徒さんからの支援物資の提供という多大なご協力を頂き心から感謝いたします。




気仙沼から東京に帰ってきて4日目、たった2日間の滞在でしたが毎日食事をしながら、ご飯におかずがあること、部屋が暖かいことに感謝してしまいます。

それに八百屋さんの前を通る度に、山積みになっている新鮮な野菜や果物が本当に眩しい!!

気仙沼で野菜の段ボールを開けた時、みんなが「うわっっっぁ、キュウリだぁ!!」「レタス〜!懐かしい〜!」と大騒ぎになって、お母さん達は野菜の前にかぶりつき!!

いつも当たり前のように見る野菜達・・・でも大喜びで野菜を見ている気仙沼の皆さんの顔を見ていると、改めてキュウリの緑、ニンジンのオレンジ、レタスの黄緑などそれぞれの野菜や果物の色が輝いて見えました。

それが印象的だったのか、八百屋やスーパーの前の野菜を見る度に「この野菜売れ残ったらどうするんだろう?捨てるのかなぁ?これ持って行ってあげたい!!」とじっと立ちつくしてしまいます。


さてさてでは、この2日間の気仙沼支援活動の全てをご報告をさせていただきます。

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CARE-WAVEチーム・・・成田浬さん・伊藤由佳さん・中村元紀さん・楢原潤也さん・鎌田
都築チーム・・・都築明寿香さん・李さん・吉田さん・富永さん・松浦さん

支援物資 ・食糧品(生鮮食品・果物含む)
     ・調味料
     ・コメ
     ・レトルト食品・缶詰
     ・日用品・医薬品
     ・燃料系(練炭・カセット式ガスボンベ・乾電池)
     ・石油ストーブ・カセットコンロ
◇3月24日(木)
13:00 東京の物資をワゴン車積み込み
15:00 横浜市ヶ尾中学・荏田西小学校・東市ヶ尾中学校の物資をマイクロバス・大型バス積み込み
17:00 横浜出発

◇3月25日(金)
08:30 東京隊(ワゴン車・マイクロバス・大型バス)一ノ関駅到着、鎌田と合流
09:00 一ノ関出発
10:00 気仙沼小野寺博明家(うを座父兄)到着
     ・荷下ろし・仕分け開始(約300個)
          ・児童施設「旭が丘学園」老人ホーム「恵潮苑」「恵風荘」に支援物資提供
     ・陸の孤島になっていた老人ホーム「はまなすの丘」に支援物資提供
     ・障害者のデイサービスを行っていらっしゃる「NPOI法人オレンジ」に支援物資提供
     ・避難所にいる方々のペットを預かっていらっしゃる「「パッド&テイル」に支援物資
      提供
     ・うを座用として小野寺家・横山家に分配
     ・父兄の方が避難所「市民会館」「気仙沼中学校」「水梨コミュニティーセンター」
      「気仙沼小学校」に物資を届けてくださいました。

17:00 被災地の惨状を視察
18:30 都築さんと気仙沼教育委員会訪問
     教育委員長・生涯学習課課長・危機管理課課長と面談し、今後の支援について情報をいただく。
20:00 都築チーム帰京

◇3月26日(土)
07:00 CARE-WAVEチーム気仙沼出発→帰京

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現地は快晴!時間通りに気仙沼の着き、一番被害の少ない御父兄小野寺家の大きな駐車場を囲むようにバスを2台とワゴン車を止めると、既に車が動かせるうを座のお母さんや子供達が集まって下さっていました。

皆さん無事とは聞いていましたが、顔を見るまでは心配で心配で・・・
子供達はTVで見た無惨な災害を生き抜いたとは思えないような明るい笑顔で私達を迎えてくれました。でも、さすがに御父兄の少しやつれたお姿はこの2週間の心労がありありと分かるものでした・・・

そして早速全員で荷下ろしが始まりました。

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降ろしてみるとうを座の皆さんも呆気にとられるような段ボールの数!!正直私もびっくりです!
その頃には他のうを座の方々も集まって来て下さり、あっと言う間に荷下ろしが終わりました。

そして、何よりのプレゼントである市ヶ尾中学校初め、横浜の生徒さん達からのメッセージをうを座の子供達に手渡しました。
大きな紙に一人一人の手書きのメッセージや絵が貼られていて・・・

みんな初めは照れくさそうにしていましたが、すぐにみんな夢中になって読み出すともう大騒ぎ!!              
メッセージと一緒に.JPG
『CARE-WAVE AID』では自分たちがアフリカの難民キャンプの子供やゴミ拾いの子供達のために少しでも助けになりたい!頑張って演じていたのが、今度は逆の立場になったのです。

でもそれだからこそ、顔も知らない同年代のお子さんからの温かいメッセージがとても嬉しかったのだと思います。
彼女たちの笑顔はとても明るく、輝いていました。
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そして物資を荷分けして、気仙沼の老人ホーム3軒と児童施設1軒、そして障害者のデイケアサービスをやってらっしゃる地元のNPOさんに直接お持ちしてお渡ししました。
                    
旭が丘学園で.JPG
                                 そしてお母さん達がご自宅分以外にも、近所の方々や避難所にも物資を持って行って下さったり、ペットの餌を避難所の方々のペットを一手に引き受けている訓練所に持って行ってくださいました。 

うを座の御父兄の皆さん本当にありがとうございました!!
避難所の壁にメッセージ・・・.jpg避難所へ(気仙沼中学)2.jpg

避難所へ(気仙沼中学).jpg避難所へ(気仙沼小学校)2.jpg



被災地の現場は本当に悲惨なものでした!!
私は10何年来毎年夏に「うを座」公演のために気仙沼に通っていました。 
いつも使っていた稽古場は流されて跡も形もありません。 そこに立つと見えるはずの無かった海が瓦礫の先にすっきり見えます。 いつも行ってたコンビニも馴染みの飲み屋さんも瓦礫の中に埋もれています。

松岩付近.jpgDSCN0175.JPG

瓦礫の山2.jpgゴルフバッグも・・.jpg


海から数百メートル離れた鹿折町。 ここは津波の後に火事になったところで皆さんもTVでご覧になったと思います。
なんとその瓦礫の中に地元の人が『船艦ヤマト』と呼ぶ赤と青の巨大な漁船がドォ〜〜〜ンと仁王立ちに立っています。

鹿折町の戦艦ヤマト.jpg


『戦艦ヤマト』の裏に家があるうを座の子供がいて、「この船のお陰でうちは津波にも火事にも免れたんです」と教えてくれました。
その、船を写メっていたら、船の前の壊れた家から御遺体を引き揚げるところに遭遇しました・・・

まだまだ、どこも手つかずで数知れない御遺体が埋もれたままになっているのです。


他にうを座のご家族の中には家を流された方々もたくさんいます。 
また流されていないお宅には必ずと言っていいほど家を無くした知り合いや親戚の方々が身を寄せていて・・・4人家族が10人家族になったり。
皆さん、備蓄の食糧も底をつき、しかも自宅難民の状態ですので、避難所のように頻繁に食料が手に入りません。

それに避難所には炊き出しや行政からの食糧がありますが、限られた数しか配給されないので、取りに行くことも出来ないのです・・・

昨日も自宅避難のお母さんから御礼の電話が来ました。「本当に助かりました。昨日は一人当たりおにぎり1個とかまぼこ1/3とツナ缶1個でした。」


何をおいても「食」が足りません!!

日本ですよね? ここは!! アフリカじゃないのに・・・なんで?




夕刻、都築さんと行政の対策本部のある市役所と教育委員会に伺いました。

都築さんが今後の教育環境について提案されたのですが、反応がめちゃくちゃ悪い!!
特に教育委員長は目もうつろでうつむいたままで「今はとてもそこまでは・・」とおっしゃるだけ。

その後、教育委員長と危機管理課の課長さん・生涯学習課の課長さんといろいろお話を聞きましたが、結局、何もかも行政機能が手詰まり状態になっているようです

◇学校関係(3月25日現在)

  ・4月20日の新学期を前にし、生徒の安否と居所を確認する時間も手段もない。

 *ボランティアの受け入れ体勢がまだ機能しておらず災害ボランティアセンターは立ち上がって
  いませんでした。そのため、市の教職員162人がみんな避難所のお世話に借り出されているそう   です。

◇住居・・・『仮設住宅を建てたくても、土地が足りない!!』
 
  ・今の瓦礫と泥を簡単に撤去できない

 *津波で荒廃した土地は地盤が60cm下がったために、撤去すると海水が入り海化するそうです
 
  ・学校の校庭利用を学校側が拒否

◇移転
 
  ・先祖代々からの土地を離れたくない。
  
 *『東北の人間は本来農耕民族なので何度災害に遭っても土地に対して執拗なほどの愛着がある』  と仰っていました。

  ・集落・近隣等のコミュニティーの結束が堅く、一緒にいたい。

  ・行方不明の家族親戚の遺体確認が出来るまで離れたくない。

 *今沖合に1500体の遺体が浮き上がっているのですが、数の多さに遺体の引き上げに手間が掛か
  っています。ただ、今引き揚げないと遺体からガスが抜けると2度と浮き上がって来ないそう
  です。
 
  ・市町村としても他県の『移転受け入れ申し出』に積極的ではない。

 *『町の復興』には『住民』『税金』が必要なので、あまり積極的に薦めるのも難しいようです。


・・・生涯学習課の伊東さん(うを座副座長)からのお話・・・

『気仙沼の経済の中心地は海沿いにあって、商業地域は全て津波に呑み込まれてしまいました。 気仙沼市民の殆どが解雇・失業となるでしょう。 でも、失業保険が下りてもたった6ヶ月の猶予です。6ヶ月でどうにか経済復興できるのではないか・・・と考えている方が多いのですが、とてもそのようなレベルの話ではありません。何年かかるか、何十年かかるかわかりません。 今は行政も被災者の方々も目の前にある山積み問題をクリアにすることのみに躍起になっていますが、もう少し先の必ずやってくるだろう問題点(生活費・養育費)はもっと大きなものになります。 幸いというか、気仙沼は以前から高校から子供を県外に出す親が少なくありません。そのためにもせめて子供がちゃんと教育を受けられるように子供だけでも県外に転校させ、親は気仙沼に残る・・・という受け入れに対しての手続きを今すぐに開始した方がいいと思っています。
正直、今、気仙沼は非常に治安が悪くなっています。 窃盗や空き巣、避難所の中での人間関係の問題も多発していて、中には全く何もせず、してくれて当たり前と言う感覚の方も少なくないです。
被災者の中にも”いろんな方”がいます・・・当然のことですがね。』


毎日教育委員会の委員長室で寝泊まりしているらしく・・・でも普段からとても陽気な方で、髭だらけの痩せた顔に笑顔を浮かべながら話してくれました。


本当に、この大震災は過去の被災地の復興マニアルが通用しないのだ!ということを実感しました。

とにかく、国や行政に任せず、どんどん民間やNPOのレベルでフォローしていかなくてはいけない!

新たな復興の道・・・それは被災者ではない私達にかせられた課題であり、使命なのだと思います。


そこで!!

『第2弾CARE-WAVE気仙沼救援隊』結成しました!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
決行日:4月12日東京出発
対象: 自宅難民への支援物資の提供
物資リスト: 
        ・生鮮野菜(果物含む)
        ・お米
        ・レトルト食品
        ・缶詰(肉類)
        ・調味料
        ・ガスコンロ&ガスボンベ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回は物資の品数を絞り、1品種につき量を持って行くことにしました。
気仙沼うを座のご家族は気仙沼全域に住んでいらっしゃいます。殆どの方が自宅避難されていて、その近辺の情報を今まとめてくださっています。
例えば唐桑町のうを座の子供のおうち1箇所に物資を下ろし、その地域の方々に1家族当たりの数量を決めて配る。 
とにかく今食料物資が上手く届いていない地域を何カ所か調べ、回ってきます。
そして、男手の必要な作業があったらお手伝いして来ようと思います。

今現在、生鮮野菜は群馬の太田市にお知り合いがいて、トラックと野菜の調達をお願いしています。風評被害のためにも太田市の農家の方のお手伝いが出来たら幸いです。


皆さん!もし物資のご協力いただけるようでしたら、鎌田まで御連絡ください。
義援金も募っています。

どうか、よろしくお願いいたします。


最後に昨日来たうを座のお母様のメールをご紹介いたします。

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「沢山の日用品、食品を頂きました。ありがとうございます!

うちは、一階が水に浸かり、メチャクチャです。車もトラック以外駄目になりました。私達の唐桑地区はまだ、電気水道が来ていません。復旧には1ヶ月かかるそうです。

でも家族7人、奇跡的に全員無事でした。

今は、家を流された親戚の一家族6人を迎え入れて、13人で暮らそうと思っています。

目の前でベランダから、助けて!と何度も叫ぶ隣の家の人を助けてあげる事が出来なかった事だけが悔やまれます。

これから、近所、親戚みんなで助け合って仲良く暮らして行きたいと思っています。
うちでは、山の水の貯水道があり、隣近所でその水を使う事ができます。

薪を燃やして、お湯を沸かし、洗い物をしています。
ご飯もやはり、薪です。娘達の担当で、とても上手に炊けるようになりました!特におこげがおいしいです!

かなり原始的な生活ですが、お母さんやおばあちゃんの昔の知恵がどんどん出て来て、心強く、感心するばかりです。

私達の地区の避難所、鮪立(しびたち)老人憩いの家には沢山の物資が来ているみたいですが、うちのような自立組には、なかなか思うように物資がまわって来ません。

でも、おかげさまで、鎌田さん達からの物資が沢山届き、幸せ&心も豊かになれました!

私の住んでいる集落の家は、半数以上が津波に流されました。

みんな、それぞれに奇跡の体験があって、心の中につらい思いがあるのですが、今は心の中に閉まって、前向きに歩もうとしています。」

posted by carewave at 13:08| 気仙沼救援隊

2010年10月27日

「In To The Woods」出演のお知らせ〜from 四宮

こんにちは。
四宮貴久です。
昨年末から国内外を飛び回っている状態ですが、久々の東京生活再開したところです。
今日から東京は随分と冷え込んでおりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
これから風邪、インフルエンザと蔓延する時節、お体にはお気をつけてください。

さて、舞台のお知らせをさせていただきます。

ミュージカル「In To The Woods」
<出演>
山崎直子、小此木麻里、RiRiKA、松原剛志、小笠原みち子、吉田玲菜、吉田理恵、四宮貴久、石川祐司、本田育代、守屋由貴、小松原聡美、カサノボー晃、清水裕明、穴田有里、岡村さやか、横沢健司、石飛幸治(StudioLife)

<期間>
2010年12月1日(水)〜2010年12月3日(金)

<開演時間>
2010年12月
1日(水)19:00
2日(木)14:00、19:00
3日(金)13:00、18:00
開場は各開演時間の30分前です

全席指定 前売/5,500円 当日/6,000円

<会場>
財団法人六行会
〒140-0001
東京都品川区北品川 2-32-3
京急線新馬場駅より徒歩2分

かつて宮本亜門さんも演出したソンドハイムの名作。色々なグリム童話をミックスしたコメディをソンドハイム特有の音楽で綴ります。四宮はシンデレラの王子・狼の二役で笑いを追求します。

チケット受付
atsu.kick4jesus@gmail.com
下記URLからもご注文いただけます。
URL:http://ticket.corich.jp/apply/23384/108/

よろしくお願い致します!


四宮貴久
http://ameblo.jp/atsuhisa-shinomiya/
posted by carewave at 11:21| お知らせ

2010年04月12日

改名と『ウィンザーの陽気な女房たち』公演のお知らせ

春らしく、寒い日や暖かい日が繰り返しやってきていますが、皆様お元気でお過ごしでしょうか?お陰で桜の花も長く楽しめましたね。

私、松岡美希は、役者としての人生も折り返し地点にたつ歳となり、この度芸名の漢字を変えて、再出発しようと意気込んでいます。
『美希』→『美桔』 お花の桔梗の桔です。
今後とも新しい『松岡美桔』をよろしくお願いいたします。

そして、松岡美桔としての第一弾の舞台は、シェイクスピア作『ウィンザーの陽気な女房たち』
タイトルロールの一人であるページ夫人の役を演らせていただきます。
オペラでは『ファルスタッフ』という題名で有名な、大の大人達が繰り広げる、本当に楽しい喜劇です。

どうか、新しい私を見届けにいらして下さいませ。

care-wave aid第一回に出演した高野力哉くんも、不思議なフランス人医師の役で、出演しています。


タイプスプロデュース 『ウィンザーの陽気な女房たち』
場所  中野ザ・ポケット 
        (JR中央・総武線/東京メトロ東西線 中野駅南口より徒歩5分)

全席自由席
一般     前売り¥4000  当日¥4500
高校生以下  前売り¥2500  当日¥3000

4月
27日(火)19時
28日(水)19時
29日(木祝)14時 18時
30日(金)19時
5月
1日(土)14時 18時
2日(日)14時

チケットのお申し込みは、m2mickey@spice.ocn.ne.jp
まで、お名前・日時・枚数をお知らせ下さい。

詳細はwww.types.jp まで

どうぞよろしくお願いいたします♪

posted by carewave at 23:48| お知らせ

2010年03月19日

アレックスへのインタビュー

クリックしてアレックスのホームページを見るメリー・アンに続き、5月開催のワークショップ「CARE-WAVEマラソン」のもう一人の講師をつとめるアレックスも、CARE-WAVEからのインタビューに答え、ブロードウェイでの慈善事業への関与、前回来日の思い出や、次回5月に向けての思いなどを語ってくれました。
アレックスのホームページを見るにはここをクリック

アレックスが15年に渡り活動に参加しているとインタビューで語っているBroadway Cares / Equity Fight Aids (BC / EAF) は、CARE-WAVEが始まるきっかけともなったアメリカの演劇界の活動で、世界の切迫した病気による危機を救うことを目的としています。BC/EAFはアメリカ各地でAIDS関連の原因追求・撲滅の為に1988年に設立されて以来、100億ドル以上の資金をAIDSやHIV患者の為に集め続けています。
詳細は、CARE-WAVEホームページの「BC / EFAについて」のページをご覧ください。

インタビューを読むにはここをクリック
posted by carewave at 19:58| CARE-WAVE マラソン

2010年03月17日

メリー・アンへのインタビュー

MaryAnn.jpg今週月曜日に申し込みの受付も開始となった5月開催のワークショップ「CARE-WAVEマラソン」の講師をつとめるメリー・アンが、CARE-WAVEからのインタビューに答え、ブロードウェイでの慈善事業への関与、前回来日の思い出や、次回5月に向けての思いなどを語ってくれました。

メリー・アンが初回のボンネット・コンテストから参加していたBroadway Cares / Equity Fight Aids (BC / EAF) は、CARE-WAVEが始まるきっかけともなったアメリカの演劇界の活動で、世界の切迫した病気による危機を救うことを目的としています。BC/EAFはアメリカ各地でAIDS関連の原因追求・撲滅の為に1988年に設立されて以来、100億ドル以上の資金をAIDSやHIV患者の為に集め続けています。
詳細は、CARE-WAVEホームページの「BC / EFAについて」のページをご覧ください。

インタビューを読むにはここをクリック
posted by carewave at 21:07| CARE-WAVE マラソン

2010年03月06日

CARE-WAVE マラソン Vol.2が5月に開催決定!

2009年12月に開催し、好評を博した
歌とダンスのワークショップ「CARE-WAVE マラソン」
その第2回目を2010年5月に開催いたします!

ゲスト講師は本場ブロードウェイの現役アーティストであり、前回の参加者から絶大な人気を得たAlex Sanchez(アレックス・サンチェス)Mary Ann Lamb(メリー・アン・ラム)

workshop.jpg

今回は一般の方々がミュージカルを楽しく体験していただけるミュージカル体験コース、またプロ・セミプロの方を対象としたジェローム・ロビンスコース、及びミュージカルナンバーの歌を本格的に学ぶVocalコース、とバラエティにとんだ3つのコースをご用意しました。 アレックスとメリー・アンのブロードウェイでの長年の経験で蓄えられた豊かな表現力や技術、そしてプロの舞台人としての祈りを身近に体感できるミュージカルワークショップです。

今回プロ・セミプロコースの参加費がリーズナブルなお値段になり、リピーター割引・早期登録割引も設定しました。是非、お誘い合わせの上お早めにお申し込み下さい。

なお参加申し込みの開始は、3月中旬を予定しています。最新情報は、ブログ及び携帯サイトで随時アップデートいたします。

2010年5月ワークショップの詳細をPDFファイルで見る

★『CARE-WAVE マラソン』とは?
舞台芸術を通してボランティア活動の普及に貢献するCARE-WAVEが、
1) ミュージカルを愛する全ての方々によりクオリティの高い学びの場を提供すること、及び
2) 収益の一部をNPO支援団体に寄付し、ノンフィクションミュージカル「CARE-WAVE AID」の資金とすることを目的に開催する、本格的な歌とダンスのワークショップです。

★前回(2009年12月)のワークショップの詳細と参加者の声は、下記リンクよりご覧ください。
 前回ワークショップ詳細: http://cgi.geocities.jp/carewavejapan/marathon/index.php
 前回参加者の声: http://carewave.sblo.jp/article/34693433.html

お問い合わせ先: carewave_marason@yahoo.co.jp

posted by carewave at 13:34| Comment(1) | CARE-WAVE マラソン

2010年01月30日

ハイチ大地震取材リポート!!

皆さんへ

今日は皆さんに、時事通信ワシントン支局淡路愛さんのハイチ地震現地リポートを皆さんと是非共有したいと思い、淡路さんの許可を得て掲載させていただきます。
(淡路さんはCARE-WAVEの活動にとても賛同していただいています)

日本の自衛隊もまだこれから・・・という時に、ハイチ地震速報を見て女でありながらなんの伝手もないのにたった一人で現地に乗り込んだ・・・という、ジャーナリスト魂に溢れた無謀とも言える命がけの取材記事です。 
TVニュース等の遠巻きの情報ではなく、現地の臭いや空気・被災者の嘆きや痛み、そしてそんな逆境の中でもたくましく生きようとする人間が本来持つ強さや愛の伝わる内容で、とても感動しました。


記事の一部を最後に掲載しました。全文は以下をクリックすると閲覧できます。
「ハイチ地震取材体験記 淡路愛」↓
http://www.jiji.com/jc/v?p=new-special-haiti0001 


また、『CARE-WAVE AID』で寄付させていただいているNPO団体の方々も現地の被害状況の大きさや治安の悪さその上フランス語圏という悪条件の中、ハイチ支援に大変ご努力されています。 
その中から、下記のJENさんの支援協力要請記事のアドレスを掲載いたしましたので、支援の参考にしていただければと思います。

JEN「緊急支援ハイチ地震」↓
http://jenhp.cocolog-nifty.com/emergency/cat21785389/index.html

 彼女をはじめ、國森さんや高橋さん・土居さん他、たくさんのジャーナリストの方々・・・そして支援団体の皆さんなど、愛と勇気に溢れた方々がCARE-WAVEと繋がって下さっていることは、CARE-WAVEにとって大きなエネルギー源であると共に、心から敬意を表したいと思います。

そして私達CARE-WAVEは、淡路さん達の情報やメッセージをしっかりと受け止め、舞台という伝達様式を使ってもっともっと意欲的に社会に伝えて行かなくては!と改めて痛感しました。

鎌田

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時事通信ワシントン支局の淡路愛です。

15日からハイチのポルトープランスで大地震の取材をしてきました。本日(20日)出国し、今はドミニカ共和国のサントドミンゴにいます。

 地震から3日たったポルトープランスに入った時、現場はこの世のものとは思えないような状況でした。延々と倒壊家屋が続くゴーストタウンのような街並み。その通りで暗闇の中、暮らす人々。市内に散乱する遺体。お母さんと赤ちゃんの遺体も路上に放置されていました。倒壊した大統領宮殿前の広場は被災者のテント村と化し、人間の営みのすべてが今もその中で行われています。
 市内で最大の大学病院では、ハイチ人や外国NGOの医師らが野営テントで懸命に負傷者の治療を行うかたわら、倒壊ビルからむごたらしく絡まり合った仏様が発見されていました。日本の新聞やテレビは基本的に遺体を映しませんが、そうした光景が地震後、ポルトープランスの「日常」となっていたことは事実です。
 空港には絶え間なく軍用機や輸送機が援助物資を運んでくるのに、市中心部には届かない。私が滞在した6日間で食料配給の場面に行き当たることはありませんでしたし、被災者も異口同音、「食料はどこだ」と悲痛な叫びを上げていました。
 倒壊家屋からの略奪行為などがあるのは事実ですし、私自身も銃声を数回聞いたりもしましたが、市民の大半は静かに困難の時を耐えています。報道では悪いニュースばかり焦点を当てがちですが、ハイチ人の忍耐強さには脱帽しました。ここ1年ぐらい、政治的にも安定し、徐々に成長を遂げていると思われた矢先の大地震。「なんで僕たちがこんな目に遭うんだろう」と言った被災者の言葉が忘れられません。
 ただ、気になったのはそうした首都の混乱の中での日本の不在でした。日本の緊急援助隊は、治安の良い郊外のレオガンという街で医療活動を行っていますが(もちろん郊外での活動も重要ですが)、首都で日本の姿は目に付きませんでした(民間の方などはいらっしゃるのかもしれませんが)。外務省によると、レスキュー隊を送らなかったのは「72時間を超えたから」だそうです。1週間経っても生存者が発見されているというのに…。被災者からも「日本はどうした」と聞かれ、説明に窮しました。
 とはいえ私自身、14日夜サントドミンゴの空港に1人降り立ったとき、宿泊先も交通手段も何のあてもなく、本当にハイチ入りできるのかどうかすら分かりませんでした。その翌朝、飛行機でポルトープランス入り。偶然出会ったハイチ人が市内を案内してくれたり、家に泊めてくれたり、インターネットプロバイダー会社が無料でネット環境のあるオフィスを貸してくれたり、壁にぶつかるたびに、ハイチ人の厚意に助けられました。
 数え切れないほどの遺体を見たけれど、それ以上に多くの、生身の人間の温かみに触れた取材でもありました。
 
明日(22日)ワシントンに帰任します。


時事通信社ワシントン支局 淡路 愛
posted by carewave at 15:03| Comment(30) | 社会問題・支援情報